方位を気にして、方位の良い所にしか旅行しないなんて迷信を信じるなど、
かなり気持ち悪い人種であることは、わたしは理解してるつもりです。
京都に行けるときは京都に行き仏像見てきたり、
草津に行けるときは草津に行き温泉入ってきたり、
取り立てて社会に迷惑なこともしていないつもりであるが、
ものすごーーーく、拒絶反応を起こす人というのはいるものです。
別に、お前も方位気にしろとは言ってないんだから、放っておいてくれりゃ良いと思うのだが。
そういう人たちが口々に言うのは、
「方位に人生決められたくない」
方位で人生決まるなんて言っていないのだが・・・・・・。
当たり前じゃんね。方位で人生なんか決まるわけないですよ。
良い方位に行けば幸せになれるわけでもないし、
悪い方位に行ったってそう簡単に死ぬわけじゃなし。
方位取りをしようなんて思うのは、
よっぽど人生に行き詰っちゃってる人たちなんです。
行動するためのスプリングボードになれば、それで良いんだよね。
方位取りもやった。だから思い切ってジャンプしてみようって思えれば良いわけ。
だけど、だけどね、方位取りをやっている間に、
目的を見失ってしまう、ということがしばしば起こるのは、否定できないと思っています。
実際わたしもそうでした。
仕事がうまくいかないとき、失恋したとき、病気になったとき・・・・・・。
人間は弱い生き物です。
そんなとき、軸がぶれて流されてしまう。
起こり得ることです。
そうすると、”気学の理論上の自分”と今の自分にギャップがあるからうまくいかないのか?
ギャップを埋めれば幸せになれるんじゃないか、という考えに取りつかれてしまうんですね。
そこで旅行するくらいなら良いのだけど、引越し、転職、結婚や離婚をやってしまうと、
やめときゃ良かった、ってことにならなくもないんだよね。
方位取りでもなんでも、すがるものがあったほうが良い時期がある人もいるから、
間違った方向に進みそうになったら、頭ごなしに否定はせずに止めてくれる人
には相談したほうが良いと思います。
でも、そういう相談できる、自分に気をかけてくれる人がいるのであれば、
気学にはまる精神状態にはならない気もするのだが・・・・・・。
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