ゴルの虜囚
ジョン・ノーマン
7. 他の女たちと、北方へ連れて行かれる(16)
「顔をお上げなさい、お嬢さん」 女性の声がしました。
わたしは顔を上げました。
彼女はわたしより年上ではないはずですが、わたしを子ども扱いしました。
衛兵がまた足でわたしをこづきました。
「買ってください、ご主人様」
わたしは口ごもりながら言いました。
この女がわたしを買うんじゃないかと恐ろしくなりました。女に買われたくなんかない! でもこの考えにはっとしました。女に所有されるほうが良いはずです。召使とかで、長い髪をとかしたり、服を着せて飾り立てたり、お化粧品を取ってきたり、ことづけをしたりお使いに走ったり。全部やりたくないことだってわかってる!女に所有されるなんていや! でもどうして?そうじゃなければ?顔が良くて男らしくて力強くて、女から残らずすべてを奪うゴルのケダモノに怯える奴隷のほうが良いって、わたしが本気で望む?そんなわけない!
でもわたし自身も驚きましたが、女の奴隷よりは男の奴隷のほうが良いという考えが心に浮かびました。
わたしはなんて邪悪なんだろうと思いました。
顔が良くて、男らしくて、威圧的で、支配的なケダモノに共鳴し始めてるはずがない!わたしが無意味な奴隷のはずない!違う!自分に言い聞かせました。違う、絶対にそんなことない! でもわたしは既にわかりかけていました。奴隷娘は男をどう見ているか。男の力と、女の無力さ、男の容赦ない強さと女のどうしようもない美しさ、所有することと所有されること、それら相補性にいかに反応するか。女は男の所有物であることを知っているのです。支配する者と、服従する者。支配は男の物、服従は女の物。この状況で女は人工的な因習ではなく自然の法則に従っているのです。奴隷娘にとって男は興味の対象にとどまらず、たまらなく魅力的なのです。男の足元で頭を下げ、支配を受ける。
でも、わたしが好もうが好むまいが、自分はそういう男の奴隷にふさわしくうってつけだと気付いていました。
このことをののしっても、事実だと気付いていました。
そして衛兵たちにも、わたしは男に買われてゆくのだと信じ込まされていました。
「どうしてですか、ご主人様」 わたしは聞きました。
「おまえはなんとも平凡だけど、そんな気にさせるんだ。お前がもっと奴隷の身分に目覚めたら本当にわかる。お前は立派にお仕えして、毛皮でのたうってあえぐ」
「ご主人様ったら!」 わたしは抗議しました。
一番魅力的な女は、必ずしも絶世の美女ではないとユートが言っていました。そういうことは地球であっても同じで、先刻承知のことです。好ましさと言うのはさまざまな要因、さまざまなとらえにくいものが相関しているのです。女の中には奴隷が住み、その奴隷は解き放たれがっていると、ゴルの人たちの多くが信じています。奴隷商人が獲物の前に立ち自由な女の服を脱がせると、解放の決意が生まれるのだと言われています。腕を取り目を見ろと命令すると、女に覚悟が出来ていればすぐに彼女の目は恐怖の色と涙でいっぱいになり、首輪を待ち焦がれ請い求めるのだと。少なくとも、情が深く、献身的で、ご主人様が少し触れれば敏感に反応する、もっとも魅力的な奴隷のうちの何人かは、快楽の庭か籠に銀の鎖で留めておく観賞用にはいないことは明白です。そこそこの資産しか持たぬ怒れる若者は、失望し挫折感を味わいながら、市場から鎖を引いて家に帰るのです。自分の買える一番良いものであっても、二流の品です。しかし家を案内し、縛って、ここの奴隷だと知らしめる慣習の鞭打ちの儀式が終わる頃には、男は気が付くのです。離してやると、奴隷娘は腹ばいになってやってきて、足を包み、男の脚へ口づけする。そして娘は男の脚をおずおずと抱きしめ、涙のあふれる目で男の目を見上げる。足元に金には変えられない、自分の財産、説明のつかないほどの勝利者たらしめた市場でのめぐり合わせのもの。足元にひざまずく奴隷は男の物になり、いつの日か愛する奴隷にさえなるのです。
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訳者の言い訳と解説
「快楽の庭」というのは、ハーレムみたいなもの。
お金持ちとか権力者が、奴隷をはべらせておく場所。
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